原発被災地の真実// ~The Silence of the Lambs~
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2012/03/06 17:58
日本マス・コミュニケーション学会

3月3日、日本マス・コミュニケーション学会60周年記念シンポジウム『震災・原発報道検証―「3.11」と戦後日本社会』が開催された。
その学会会長とは、浜田純一・東大総長であるが、質疑応答で会場から手厳しい避難を受けたようだ。


当日のシンポジウムの内容は、とても素晴らしい物だと思う。学会長の批判部分を含めBLOGOS「マスコミ学会で東大総長に会場から激しいヤジ 震災・原発報道で見えたマスコミの限界とは?」より一部引用する。



マーティン・ファクラー氏(ニューヨーク・タイムズ東京支局長)

ジャーナリズムの使命は「権力監視」だと思いますが、3.11後、日本政府と日本のマスメディアの関わりについて、自分の印象としては9.11後のアメリカ政府とアメリカのマスメディアの関係に似ているなと思いました。

   :

「メルトダウン」という言葉も、専門家は早くから使っていたと思うけれども、日本のマスメディアが最初に報じたのは5月の中旬ですよね。ニューヨーク・タイムズでは3月13日に最初に「メルトダウン」という言葉を使ったのですが、すぐに日本のマスメディアに批判されました。「過剰だ」とか「大げさだ」とか、そういう雰囲気でしたよね。




谷原和憲氏(日本テレビ報道局ネットワークニュース部長)

1号機の爆発映像、放送が遅れた理由
福島第一原発1号機の爆発が起きたのが3月12日の15時36分、この4分後に福島中央テレビが映像を放送しましたが、日本テレビが全国放送を行ったのはそれからおよそ1時間経ってからでした。この間、社内でどういう議論があったのか、関係者の記憶も曖昧な部分がありますし、ハッキリしたことはわからないのですが、私の知っている範囲では、「爆発」という事象の確認に時間がかかったということです。

  :

原子力安全・保安院の記者会見でも「メルトダウン」という言葉は速い段階で担当者から出ていましたし、解説者からも出ていました。しかし、一方でそういう情報は上がっていません、という話もあり、楽観的なシナリオから悲観的なシナリオまで、実に幅広い状況でした。両方のシナリオをきちんと伝えたとしても、「今のところわかりません」、という結論に落ちてしまう。




遠藤薫氏(学習院大学法学部教授)

震災でマスメディアはその役割を果たしたのか、ということについて、私は戦後の日本社会を見ていくと、今の状況と第二次大戦末期が似ているような気がするのです。

これはあまり知られていませんが、第二次大戦末期には、日本では大きな地震が3つも発生しました。いずれも1,000人以上の死者・行方不明者が出ていますが、これについての情報は、ほとんど日本国民には知らされませんでした。それは広島・長崎の原爆投下の被害状況の報道でも同様ですし、東京大空襲も、被害をきわめて過小評価した報道しかなされませんでした。

さらに、1945年8月16日の新聞を見ると、どの新聞にも終戦の詔勅が一面に大きく出ていますが、"今、日本人がどういう状況におかれているか"、というような表現や報道は一切なされていません。これでは読者は、"とりあえず戦争が終わった"、ということしかわからなかったでしょう。それに対して、同じ日のニューヨーク・タイムズを見れば、その時の世界情勢や、これから日本がどうなるのか、というようなことをきちんと書いているのです。

つまり、当時の日本人は自らの置かれた状況が見えなかったけれども、外国からは丸見えだったわけです。これが、東日本大震災をめぐる報道と似ているのではないか、と思う理由です。

また、戦後の原子力をめぐる言説は、ネガティブな出来事を「復興」と結びつけて、日本国民が一体になって、という方向づけを行い、その先の高度経済成長につながっていくわけですが、これも東日本大震災直後の、ACの「日本は強いぞ、みんなで頑張ろう」みたいなCMと同じ構造だよねと思うわけです。

    :

99年の東海村で原子力事故後の報告書を見ますと、

原子力の「安全神話」や観念的な「絶対安全」から「リスクを基準とする安全の評価」への意識の転回を求められている。リスク評価の思考は欧米諸国においてすでに定着しつつあるが、我が国においても、そのことに関する理解の促進が望まれる。

原子力安全委員会 ウラン加工工場臨界事故調査委員会報告,平成11年12月24日

とあります。この時点で、すでに安全神話の崩壊は指摘されていたのに、3.11後に色々なひとたちが、「安全神話は崩壊した」と、初めて見たような顔をして言うのは実にインチキだなあと思うわけです。




上丸洋一氏(朝日新聞論説委員)

■原子力の脅威を語れなかった占領期
誰も原子力の危険性を語っていなかったかというと、そうではなく、語っている人は居たのです。居たけれども、それが散発的で継続的で、世論に影響を与えるまでにはならなかった。

当時の論調を象徴するものが読売新聞の以下の記事です。第五福竜丸がビキニ環礁で被曝し、日本に帰ってきたのが1949年の3月16日で、その5日後の夕刊なのですが、


『オレらぁ、モルモットになるのはいやだよ!』
水爆第一号患者の増田三次郎君(二九)は、東大で全身を診察され、頭の毛をかられ、イガグリになった真っ黒なかおで、目ばかりをギロギロ光らせ、とりかこむ新聞記者を見回して、そう言った。

<中略>

『モルモットにされちゃたまらぬ』という増田君の叫びもあたりまえだ。しかし、いかに欲しなくとも、原子力時代は来ている。近所合壁みながこれをやるとすれば恐ろしいからと背を向けているわけには行くまい。克服する道は唯一つ、これと対決することである。
 恐ろしいものは用いようで、すばらしいものと同義語になる。その方への道を開いて、われわれも原子力時代に踏み出すときがきたのだー。


読売新聞 1949年3月21日(日)夕刊一面「原子力を平和に モルモットにはなりたくない」





質疑応答

質問者A:関村先生を始めとして、テレビで間違った発言をされたことを訂正なさった先生はいらっしゃいますか?NHKのテレビで、「安全だ安全だ」ということをおっしゃって…

司会:あの申し訳ありませんが、浜田先生に答えられる範囲と、その方々の範囲があります。質問したい方は他にもいらっしゃいますし、コンパクトにそこはお願いしますとさきほど申し上げたはずなので…。

質問者A:コンパクトに。みなさん実験するとわかります。東京大学に電話して、原発について、テレビで関村先生がこういったコメントをなさいました。お答えください、と言っても繋いでくれませんよ。そういったことについての責任をお伺いしたいんです。東京大学はシステムとしてそういう対応を取られているのか。【会場から「別の話題にしましょうよ!」との声があがる】

司会:あのー、すみませんが今日のパネルディスカッションの問題、あるいは基調講演についての質疑応答を私は要求していますし、会場の大方のみなさんもそうだと思います。今のご発言は全体的な、今の日本社会については重要かもしれませんけれども、今のこの場での…

質問者A:「戦後の日本社会」ってタイトルに書いてあるじゃないですか!

司会:ですから、本日のパネルディスカッションの…

質問者A:基調講演でそれをごまかしたといっているんですよ。他の先生方はみなさんいいお話されましたよ!

司会:わかりました。基調講演についてのご批判についてですね。

浜田氏:私が今日お話したことは、表現ということ、情報を伝えるということの原点についてのお話しでした。それについてはご理解いただきたい。それと、原発の関係の学者が答えていない、とおっしゃいました。それをご本人たちがどう答えるかはわかりません。しかし、私は、きちんと自分たちで検証しろと。それは促しています。その結果彼らがどういった形で発表していくのか。それはわかりません。私は、組織としては、本人に対して検証しろと言う、それで十分だと思います。

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